WE DO ANYTHING ALL WE CAN DO BY PingPaling
HAITSU
at GASBON
- ARCHIVES -
Shin Hamada & Diego / Build the time
濱田晋は写真家です。写真家ですがおおよそ写真家がしないようなプロジェクトを常に立ち上げ、自らの好奇心に忠実な作品を発表しています。
Diegoはグラフィティー活動をベースとしたアーティストです。ベースはスプレーやマーカー、ステッカーから始まっていますが常に新しく、ユーモアのある作品をつくっています。
そんな2人の共通するところはZINEを作り続けてきたことです。
彼らに初めて出会った2013年もZINEをもらい、一緒に展示をつくることを決めました。
もうひとつ、彼らが続けてきたことは渋谷の喫茶店でのモーニング。どんなにお互いが忙しくなっても、それぞれ時間を作り、小さな机を挟みコミュニケーションを続けてきました。
ANAGRAという場所でやった最初で最後の2人展を経て、ハイツでもう一度この2人の展示をしよう。
さてどんな、と考えた時にこのコミュニケーションを可視化することを思いつきました。
それはキャンバスをテーブルにし、そのキャンバスに2人が好きに描き込んでいくというもの。
喫茶店と同じように、テーブルの上をくだらない冗談や誰かの悪口、最近あったおもしろいことや作品について、そしてZINEが行き来します。
彼らが発した言葉が何らかの形になって、ほぼ無意識にキャンバスのテーブルに乗っていきました。
夏の西荻窪での1日、彼らがとったコミュニケーションが確かに可視化されたのです。
変わらないことと、変わること、変えないことと変わってしまったこと。
そういったことは確かに存在しますが、時間が経つのは悪くないと思えるような展示が出来上がりました。
HIKARU TAKATA / With others with us with time
ストリートでの実験的作品、PURESU名義での国内外のアーティストの作品集やリソグラフプリントのパブリッシャー活動、什器の制作や美術館でのインスタレーションなどを手がけるアーティストです。
青年期をストリートと美術大学で過ごし、アカデミックな美術論と路上での観察眼を学び、育んで来ました。
一見、無軌道とも言えるその多岐な活動の中で彼が着眼した点は「反応」です。
HAITSUの鑑賞室では6つの鉢植えを展示しました。
網目の入った蓋や、穴の空いた板状の仕切り、チューブがからみあっているドームのようなもので装飾された鉢はどれも植物を育てるのに適した鉢には見えません。その全ては、植物の成長を遮るようなデザインをしています。
そして、その鉢に植えられるのは街の側溝や、アスファルトの割れ目に生えたどこにでもある雑草です。しかし、時に雑草は駐車場のブロック塀を覆い隠し、フェンスの隙間を縫うように成長し驚異的な生命力を発揮します。
Hikaru Takataが作った鉢はそのようなフェンスや壁の役割を担い、雑草はそれに対して反応を繰り返していきます。
これらの反応とはコミュニケーションであり、さらにそれを繰り返すことでより親密な関係を築くことができます。
この鉢植え作品では、作家自ら焼き上げた[都市]もしくは[自分]としての鉢と制御不能な[自然]もしくは[他者]としての雑草とのコミュニケーションを観察することができます。
街の壁を介した対話や都市の中で繰り広げる実験と訓練によって匿名の人との交流を続けたHikaru Takataの作品は、都会的なコンセプトを含みながらもどこか動物的な愛嬌とユーモアがあり、プリミティブな印象を纏っています。
NANA SOEDA / FLUFFY PARK
添田奈那は東京とイギリスでアニメーションと美術を学んできたアーティストです。
添田が描くどことなく不穏な空気を感じるユーモアあふれるキャラクターは、現代社会で心身を疲弊している人類の怒りや悲しみを代弁し、時に共に涙し、時に癒しを与えてくれる存在です。
大量のデッサンの中からモチーフを決め、あくまでも感情的に描かれるペインティングからは彼女自身のパワーをありありと感じることできます。
しかしそのパワーというのは決してポジティブな事象からくるわけではなく、彼女のパワーは現代を生きる一般人、その多くは女性ならではの怒りやストレス、社会に対する不安や悲しみなど大なり小なり誰もが持ち得るネガティブな感情をエネルギーに作品を制作しています。
笑顔の裏にあるその人間の本質やネガティブな感情を直接的に表現するのではなくわれわれが日頃慣れ親しんだキャラクター的ビジュアルを経由し、愛らしいペインティングやアニメーションに変容させることで悲しみや怒りといったテーマに目を向ける敷居を下げてくれます。
そういった様々な理不尽な事柄に添田は”怒りは尽きない”と語っていますが、そんな添田の作り出す世界にたびたび存在するキャラクターをぬいぐるみ作品にしました。
この作品は5歳くらいまでの子供でしたら乗って遊ぶことができますし、破れたり割れたりすることは滅多にありません。ぬいぐるみと聞くと子供のおもちゃでしょ、と思われるのが一般的です。ですが今大人になったとされる我々ももちろんみんな子供の時代があり、バディとしてのぬいぐるみを持っていた人も少なくないのではないでしょうか。悲しいことを報告したり、何かに腹を立てて床に叩きつけても文句も言わずいつもすぐそばで寄り添ってくれていた存在。
添田が生んだキャラクターたちは誰かのそういった存在になるべく、出会いを待っています。