DEC 2 - 21 2025
- 2025年12月25日
- 読了時間: 15分
更新日:2025年12月25日
SIDE CORE PRESENTS 「Living road, Living space」内で展示されている細野晃太朗によるパラサイトギャラリー「唯今(I’m home)」では、第二弾のエキシビジョンとして、アーティストの高田光とフォトグラファーの濱田晋による2人展を開催します。

[作家|ARTISTS]

東京を拠点に活動。都市空間での介入行為(パフォーマンス)を制作の根幹に置きながら、様々な方法論で作品やインスタレーションを発表しています。
この活動は個に内在する空間や現象と外在するそれとの繋がりを知覚、接続するための日々継続される訓練でもあります。

ポートレイト、取材、ドキュメンタリーの分野で撮影を行う。近作に「Tokyo」(2022) 「Polyphony」(2024)など。
また、2022年より個人プロジェクト「HAMADA ARCHITECTS™」を始動。フリーペーパーの発行、プロトタイプの製作、対話を軸とする緩やかなアナキズムを実践中。 —— ごく個人的な話をしようと思う。
15年近く前のことを思い返しながら、なので記憶違いがあったら失礼。思い出なんてそんなものかしら。 濱田とは当時私がやっていた場所で2013年に出会った。その時彼を連れてきたのはまだSIDE COREに参加する前のディエゴだった。 スペインのストリー トアーティストの展示を開催していたので一目でそれっぽい人らが観にきている中、彼らは平日の昼だったかにおずおずと現れた。むしろその地味な出立は鮮明に記憶に残った。その時は彼らがなんなのかよくわかっていなくて「なんだか間違えてきちゃった親戚かなんかの2人組」と脳が咄嗟に判断したが、間違えようがないくらい来にくく、当時まだ情報も少なかったその ANAGRAという場所に間違えて来るはずがないと首を横に振り展示に来た客である2人に向かって「何しに来たの?」と阿保みたいな質問をした。
彼ら曰く、今2人で活動していて展示をする場所を探していると。この時すでに興味が湧いていた私に「これ今作ってきたんですけど」と追い討ちをかけるよう に手製の冊子を渡してきた。ページを開くとなるほどそういうことかと、自分が今求めているやつらに出会えたかもしれないと思ってしまうような、とにかく素敵な表現で彼らのしたいことしてることがレイアウトされていた。
ただこの時展示以降、近年まで彼らが2人で展示をつくることはなかった。
高田とも濱田同様、ANAGRAというスペースで出会った。ディエゴは ANAGRAに来ては「(〇〇)高田という奴がいる。すごく面白いことをしている」と言い、高田は高田で「(〇〇)ディエゴという面白い動きをしているやつがいる」と、同じようなことを言い合っていた2人がある時ついに巡り合った。
そこからというもの彼らは幾千の夜を共にしてきた。とはいえついたり離れたり、寂しがったり嫉妬したり支え合ったり。ただ相思相愛にも関わらず大きな声で褒め合うことはそこまでなかったように思う。 高田はある時リソグラフのマシンを自宅の小さなリビングに押し込み紙を挿し、本をつくり始めた。 当然、濱田も高田も手製のホッチキス止めの冊子(ZINE)をことあるごとに発行して売ったり配ったり送り合ったりしている。しかし、自分の家にプリンタ ーを設置し、自らの本だけではなく周辺の作家や人物についての本も出版している人物はそうそういない。編集し、出版するということは高田のライフワークとなっていった。
1年に1冊くらいのペースだろうか、内容も形式も 様々な本を「PURESU DE TOKYO」という名義で出版し続けているがその傍らで街の壊れた掲示板を回収し修理し再設置したり、街路樹の切り株で木版画のようなものをつくったり、ガードレールに捨て去られたままの用途が消えた自転車のキーチェーンを外して集めたりしていた。美術館のような公共性の高い、大きな場ではないがその行為や思考の全てはきちんとパッケージングされ、陳列された。
この時から最近まで2人が何かを一緒につくって発表するということは無かったが2025年の夏、とあるイベントを2人が渋谷の路上で企画し開催した。なぜこのタイミングで高田が濱田を誘ったかは惜しくも現場に立てなかった私には明らかではないが、意識の変化を遠くから感じた。 私が知る中で2人でやった、と言える活動はこれがはじめてだった。
濱田個人の話に戻ると、彼の展示には額装された写真作品が並ぶことは滅多にない。それは天邪鬼からくる現象なのかもしれないが、フォトグラファーとして技術とセンスをお金と交換する濵田からしたら写真を撮って額に入れて飾ることはそもそも野暮なことだったのかもしれない。 もしくは逆説的 に、写真を撮り納品する仕事を制約とするならその制約の中で自分を見出し 表現するための訓練としてこういう自由の中ではあくまでも自由を、というような態度を取っているのかもしれない。 濱田の活動の1つに"緩やかなアナキズム"と自称し、様々な手段を用いて活動している「HAMADA ARCHITECTS™」というものがある。例えば、濱田が生活の中で見つけた工作物に近い建築や、何かに使えそうな人の手が入った気配を感じる不器用な装置などからインスピレーションを受け、縮小板の模型をつくる。プロトタイプと称されたそれらの多くは自宅のリビングでつくられ仰々しくブリスターパッケージをし、オンライン上で購入者を募り、取引が成立したら直接納品へ出向く。 この活動の是非はさておき、濱田の妻子は彼をどのような眼差しで見つめているのだろうか。
ZINEにしろアクリルで額装された自転車の鍵にしろ、HAMADA ARCHITECTS™のプロトタイプにしろ、2人がつくってきたものは、それぞれの主戦場を生き抜くことで得た経験や不信感、 その他ネガもポジもひっくるめた思考を編集しまとめパッケージングされたものだ。 例えば毎日の通勤の道。お気に入りの立派な街路樹が切り倒され、その断面が顕になっていた。何か悲しい気持ちが心をすり抜ける。普通はそこまでかもしれない。良くて切り株の写真を撮る。何かを思った証として。しかし後日、その切り株を再度訪ね(通勤途中ではない)、往来の中照りつける太陽の下 で断面にインクを塗り紙を擦り付けて拓を取る。そしてそれだけでは飽き足らず、綺麗な額に納め、展示の機会を作り映像と共に展示する。当然値段をつけるわけで、ディールが成立した際には綺麗な箱に収まり届ける。 なんて丁寧な思考の保管(パッケージング)の方法だろうか。こんなものってつくる必要もないし、共有する必要もない。
しかし、なんにせよ彼らはその時の自らの感覚をパッケージングし、陳列し、共有したい。そして、鑑賞者や保管者からの反応が欲しい。 根底ではそれを求めているはずだ。ニッチな、自分しか気づいていない、自分ですらも咀嚼しきれていないその瞬間をなんとか保管し飾る。そんな点のような感覚に誰かからの反応が確かにある。
その確さに気づき、繋がっていくと世界に1人じゃない、と感じることができる。彼らにとってどうかはわからないけれど (とにかく2人とも天邪鬼なので)私はそういう有機物や無機物からの反応、電極から電極へピリッと小さな稲妻が流れるような反応を体感するために展示をやっているところがある。私に取って思考の保管の方法はだれかと展示をつくることである。
天邪鬼、と何度も言っているが大事なことである。
みんながみんなそうとは限らないが私の場合、制約の中で見出すのはこの中でできる自分らしさでありそれを問う対象は自分である。反面、制約の対岸にある自由の中で何かを生み出す時その対象はもちろん自分との問答を経た後だが他者、多くは信頼している仲間に向けられる。そしてそれがかえって制約を発生させることもある。制約の中において存在する自由と自由の中に 存在する他者への意識。その間を往復しているとたまに見えなかったものが見え始める時がある。簡単にいえば制約も自由も同等に大事で同様に愚かなものなのだ。
美術館があり、その中に小さな空間がある。壁のサイズは決まっていて、鑑賞者の数をコントロールすることもできない。そして、四角いフレームの中に収め、壁にかける必要がありその上私はああだこうだと彼らに様々な言葉を投げかけるし、制作の時間も極々限られている。とんでもない制約だと思う。笑ってしまうくらい自由には程遠い。
この展示では、他者への意識を向ける前の感情を、パッケージされきる前の至って曖昧な状態を陳列することになる。20年間街に隠し続けていた秘密を回収し、編集する。
どちらにも向いた矢印の間の線。その上を片足でそろそろと歩くような感覚。ここから落ちたら死ぬ、とルールをつくり、夜の白線の上を渡る。ルールをつくる。途中で切れた白い線。飛び越えて遠回りしたその先には見たことのない空き地が広がっていた。そういう景色はいつだって我々に気づかせてくれる。そしてそこに何かを添える。彼らはそれを知っている。決して独り占めしたいわけじゃない。
だから、目に留まりやすく、手に取りやすく、そして誰の生活にも入り込めるように心をこめてパッケージをする。20年前は真っ白だった天邪鬼でやさしい2人の地図が作品のようなものとなって現れる。
最後に、この展示はディエゴを喜ばせたくて企画したところもある。彼ら3人は褒めあわない。なぜなら仲間だからだ。同志だからだ。同時に、大声で褒め合える瞬間を待っている。わかる?褒めたくないんじゃなくて褒められないんだ。簡単には。自由の中でつくるとき、いつだってお互いの顔が浮かぶ。東京の呪いのようなもんだ。この2人の展示を見て、彼がいつも通り「いっすね」とつぶやくか、笑顔を見せてくれるか。そんなことばっかり気になっている。情けない。 こんな個人的な理由で公共の場を使うなんて!と思うだろう。けれどいつだって理由は個人的だ。それは場所に左右されることは決してない。場所が変わってもやることは何1つ変わらない。 生活で拾い上げた思考を丁寧に、大事なものが劣化しないようにパッケージし並べ伝え届ける。それと交換するのは他者からの反応だ。 「唯今」の地点 を確認するために。
十一月二十四日二〇二五年
-----------追記
濱田より一日先に美術館に到着した高田は展覧会を作る際に出た廃材を調べた。唯今の中にベンチをつくるためにすでに図面を描いてきていたが思った材料が無く白紙に戻る。
落胆より先に手が動く。大量にあるツーバイフォー材と分厚いアクリルの板材と作品を梱包する際に使ったのであろう厚みのあるウレタンフォーム。ディティールを考える。ベンチに嵌め込まれたショーケースの仕上げ、木材を固定し連結するための結束バンド、ウレタンフォームを固定するための金具。
来場者が腰掛け作品を鑑賞するためのベンチが出来上がる。家具、ではない。
壁にかかっている作品の枠もベンチの一部と同素材でつくられている。これらも本来は廃棄物として扱われてしまうような合板であり、極めてDIYな代物。
「晋くんとやるのであればDIYであることは最初から決めていた」と高田は言っていた。DIYであること、というのはどういうことだろうか。
翌日、濱田も休館日の美術館に到着し、館内の確認もそこそこに床の上に置いた木枠の上にカード状のサイズの写真から2LやA4くらいまでのプリントをカードゲームのように互いに出し合っていく。撮影時の年齢も時期も撮影された場所も向ける対象もバラバラではあるが完全に「異なっている」わけではない。
お互いの写真を枠の中に収めること、それらを先の丸いピンで留めることというルールだけ設け、この「ゲーム」をつくっていく。どちらもビギナーである。と同時にこのゲームは誰もがビギナーである。
盤面にはいくつもの写真が置かれ、動かされて手元に戻されていった。二、三時間経っただろうか。まだコツを掴めていない二人はコーヒーを買いに出た。
コーヒーを買いに行くだけの時間にしては長い時間をかけて帰ってきた二人にどこへ行ってきたかと聞くと「ミスドに行ってドーナツを食べ、コーヒーを飲んできた」と言う。その後の制作はとても順調に流れ、枠の中に写真が収まっていった。「もうわかったんで!」という二人の手元を眺めながら「なにがやねん」と思わず関西弁が頭に浮かんだ。途中、A3のプリント用紙を用意し、新たに出力、配置しながらそれは完成に向かっていった。
美術館で明日から飾られる作品を今つくっている。という状況はわたしにとってとても好ましく、慣れ親しんだ景色だった。やる場所が違えどやることは変わらないということを改めて強く実感した瞬間。
淡白い紙の貼られた板。塗装ではない。アクリルは入っていなくて30mmくらいの幅の合板が四方を囲っている。ビスの跡などは無く極めてシンプル。そこに複数枚の写真と何も留められていない白くて丸い頭のピン。それらが四点。同様の額装に収められた濱田のりんごの木の写真と高田のスタンプを使ったドローイングがそれぞれ一点づつ。そこに例のベンチがレイアウトされ、ベンチに埋め込まれたショーケースの中には選定から漏れた、しかし当人たちにとって大事な写真が乱雑に積まれ、その上に使い古された動かないPENTAXのカメラと「MAKE ZINE! MORE SHIT!」と書かれたバッヂが展示されている。
そのどちらもそれぞれのポケットから出てきたようなものだ。
その夜はZINEを満載にした軽トラで47都道府県をツアー中の友人や東京から駆けつけてくれた古い友人らと共に旨い酒を飲みその時間を大事に楽しんだ。
二人がつくったゲームをまだなんと無くしか理解できていない中、展示の初日の朝を迎えた。キュレーターの高木の家にはさまざまな場所に人が横たわり、寒い室内をそれぞれの工夫でなんとか乗り切っていた。室内には紫煙と酒の臭いが残りどこからか咳が聞こえる。もそもそと起き始めた彼らを横目に高木と共に先に美術館へ向かう。もう四十歳になる。どこか二十代を思い出す朝だ。
少し遅れて美術館にやってきた高田と共に陽が差す唯今のベンチに座った。作品を眺め、首を傾げたり覗き込んだりしている鑑賞者をぼーっと視界に入れながら自分の考えも伝えつつこんなようなことを話した。
枠の中にそれぞれの写真をレイアウト・編集する、というところからスタートしたこの行為はビジュアル・デザインとしてカッコよくみせる、ということを念頭におくとキリがない上に大事な記憶を無意味に配置するにとどまってしまう。この枠組みの中ではじめた遊びはいつしか行き詰まりコーヒーを飲みにいくという行為に繋がった。最初はコンビニでカップコーヒーを買いに行くつもりだったけれどいつしか目的はコーヒーを買う、ということからずれ時間を過ごす、ということに変化する。そういった時間は後に大事になる。それを知っている。美術館の近くのミスドで好きな種類や思い出を言い合いながらドーナッツを選ぶ。コーヒーを飲みながら食べるものすごく甘いドーナッツの効果の後押しもあり、テーブルの上にはさまざまな言葉や思案が並ぶ。その中から二人は大事なことだけをポケットに入れまた美術館へ向かった。
そうしてできあっがった四つの作品。その木枠の中には極めて遠慮がちに写真が留められていてそれらのビジュアルではなく曖昧ではあるが共通するビジョンがある。例えば、「東京」が収められている木枠。引きで撮られた都市の全景、男の後頭部、街路樹、スタンプ。そのどれもが時期も撮影者もばらばらだが関西から出てきた青年二人が異なる東京で過ごし感じ、留めてきた。違う地点でおれは今東京にいる、とそれぞれが思った瞬間。そういったものが飾られている。
「あたたかさのようなもの」が収められているものもある。子供の手に握られた金色のアルミフォイルに包まれたチョコのお菓子。路地に咲く白黒のひまわり。酔っぱらいを気遣う男。暖かい西日が差し込むスケーターの足元。チョコが握られた手は濱田の最愛の息子のものであり、ひまわりの写真は高田が息子の出産に立ち会った病院の帰りに撮った写真。そのどちらもそれだけの説明を聞くと、そういうものなんだ、と思う訳で補足しあっている訳でもない。ただなんと無く、心があたたかい時にシャッターを切られた景色。視覚ではなく大袈裟に言うと「こころ」のようなものが捉えられている。
何も留めることなくただ虚空に打たれたピンはもしかすると留めることのできなかった感情なのかもしれない。無かったことにはしない、確かにそこには何かを捉えようとした痕跡がある。
今度は濱田の写真の「ビジュアル」とピンを刺すという行為の「ビジョン」が交わってくる。青いりんごの実はピンに変わり、一本の木の枝がそれらを繋いでいる。
振り返ったドアの上の壁には、これら全てのプロセスを経た上で即興的につくられた高田の作品が飾ってある。それは至ってシンプルな図案でキルトの柄のようにやさしくその全てが説明されていた。
何が飾られているかを説明するとこんなようなことになると思う。
展示を通して伝えたいことは、この展示は圧倒的にDIYであるということだ。冒頭でDIYとはなんなんだろうか、というようなことを記したがそれはポケットに入っているもので工夫してつくること、だと今は思う。
材料がない時にポケットに手を入れたら出てきたもの、テーブルの上からポケットに入れたもの、もちろんカメラもいつもポケットに入っていた。拾った景色や感情はいつもポケットにしまい込み、一つ叩くとバッヂに姿を変え、もう一つ叩くとZINEになったりした。できないことを背伸びしてやったり、誰かに頼んだりする前に一度自分のポケットから出てきたもので形にしてみよう、ということの大事さを二人のルールの中から感じることができた。ポケットというのは脳や心にもあるんだと思う。
かつてのわれわれは通学路の白線の上から落ちたら死ぬ存在だった。そういうルールがあった。誰かとつくったそのルールが日常を非日常に変えた。ただのアスファルトの道路がお姫様が幽閉されている城までのダンジョンに変容する。思考や理念(ビジョン)を念頭に置いた形式は時として新しい何かを生み出す。一方で形式の対局にある自由(ビジュアル)は無限で制約がないが故に苦痛を伴うことがしばしばある。
自由も不自由もどちらも尊く困難であることは変わらない。そしてわれわれはその自由と不自由を行き来する。けれど道中、また何か障害立ちはだかった時、アスファルトに浮かぶ白線を飛んで渡るように、軽やかに健やかにちょっとの工夫とポケットの武器で彼らは超えていくはずだ。
十二月十五日二〇二五年








































































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